特定の香りを嗅いだ瞬間、忘れていた記憶が鮮明に蘇るあれ。
Proust Phenomenon (プルースト現象)または, Proust Effect (プルースト効果)と呼ばれる。
フランスの作家マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』に登場する、主人公がマドレーヌを紅茶に浸した際の香りで幼少期を思い出す描写が語源。
視覚や聴覚の刺激は「視床」という場所を経由するが、嗅覚だけは感情を司る「扁桃体」や記憶を司る「海馬」にダイレクトに伝わる。
感情や思い出と香りが強く結びつきやすいため、一瞬でタイムスリップしたような感覚に陥いる。
ある冬の日、帰宅途中、私が寒がっているのを見て、いつもの習慣に反してお茶を勧めた母がいた。最初は断ったが、なぜか気が変わった。母は、まるでホタテ貝の溝のある弁板に型を入れたような、プチ・マドレーヌと呼ばれる、短くてふっくらとしたケーキを持ってきてくれた。そして間もなく、陰鬱な一日と悲しい明日への不安に圧倒され、機械的に、マドレーヌを少し浸して柔らかくした紅茶をスプーンですくって口に運んだ。しかし、ケーキのかけらが混じった紅茶が口蓋に触れた瞬間、私ははっとした。自分の中に起こっている異常な出来事に意識が集中したのだ。甘美な喜びが私を襲い、原因も分からず孤立した。愛が作用するのと同じように、それは私を貴重なエッセンスで満たし、人生の浮き沈みを無関心にし、災難を無害にし、そのはかなさを幻想にしてしまった。いや、むしろ、このエッセンスは私の中にあるのではなく、私自身そのものだった。私は、自分が凡庸で、偶然で、死すべき存在だと感じることをやめた。この強烈な喜びはどこから来たのだろうか?それは紅茶とケーキの味と関連しているように感じられたが、それらをはるかに凌駕するほどで、同じ性質のものではないはずだ。それはどこから来たのか?何を意味しているのか?どこでそれを掴めばいいのか?二口目を飲んでみたが、一口目と変わらない。三口目も二口目ほどの満足感は得られなかった。そろそろ飲むのをやめるべきだ。飲み物の効力が薄れつつあるようだ。私が求める真実は、その中ではなく、私の中にあるのは明らかだ。真実はそこに呼び覚まされたが、それを知らず、どう解釈すればいいのかわからない同じ証言を、ますます弱まりながら、際限なく繰り返すことしかできない。せめて、もう一度問いかけて、一瞬のうちに、決定的な解明のために、そのままの形で、自由に使えるようにしたい。カップを置き、心と向き合う。真実を見つけるのは私の心次第だ。しかし、どうやって?心が自分自身に圧倒されると感じるたびに、深い不安が湧き上がる。・・・