予測脳・予測符号化

『考える脳・考えるコンピューター』(ジェフ・ホーキンス)

 1986年4月のある日、何かを「理解」するとはどういう意味か、とわたしは考え込んでいた。この根本的な疑問との悪戦苦闘は、何か月もつづいていた。行動を起こしていないとき、脳は何をしているのだろうか?講演を聞いているだけのときは?まさにこの本を読んでいる、あなたの脳は何をしているのか?情報は脳に入ってくるが、出てはいかない。そのとき何が起こるのか?今この瞬間、あなたはたいして行動をしていないだろう。おそらく息をしていて、目を動かしているだけだ。だが、あきらかに脳はそれ以上のはるかに多くの作業をしている。なんといっても、この本の字句を読んで理解しているのだ。この理解が脳の活動の所産であることは間違いない。だが、どんな活動なのか?理解するとは、いったい、ニューロンがどのように変わることなのか?

 その日、部屋の中を眺めながら、見慣れた椅子、ポスター、窓、鉢植え、鉛筆などへと視線を移していった。周囲の小物や室内の特徴は何百もある。それらはざっと見まわすことで目に入ってくるが、眺めるだけなら身体は動かない。なんの行動も起こらないし、起こす必要もないが、それでもどういうわけか、部屋とその中を「理解」している。サールの中国語の部屋にできないことをしているのに、隙間から紙を返す必要がない。理解しているのに、それを行動では証明していない。いったい、「理解」とは何なのか?

 まさにこのジレンマにおちいっていたとき、「あっ」という直観がひらめいた。頭を殴られたような衝撃とともに、不意にもつれが解け、混乱が消え去る瞬間だ。そのきっかけになったのは、こんな単純な自問だった。もしも新しい何かが、つまり、いままでに見たことのない物体が部屋にあったら、何が起こるのだろうか?たとえば、青いコーヒーカップがあったら?

 答えは単純だ。それがこの部屋のものでないことに、わたしは気づくだろう。それは新しい物体として、注意を引くだろう。コーヒーカップが新しいものかどうかを、自分自身に意識的に問いかける必要はない。あるはずがないものとして、目に飛び込んでくるだけだ。ところが、うわべは平凡に見えるこの答えの下に、強力な概念が隠れている。何かが違うことに気づくのだとすれば、脳のニューロンでそれまで興奮していなかったものが、興奮しなければならない。それらのニューロンは、部屋に何百もある物体の中で青いコーヒーカップだけが新しいことを、どうやって知るのか?

 この問題への答えには、いまだに驚きを禁じえない。つまり、人間の脳は蓄積した記憶を使って、見たり、聞いたり、触れたりするものすべてを、絶えず予測しているのだ。わたしが部屋の中を眺めるとき、脳はいつも記憶を使い、何を見るはずであるかの予測を、実際に見る前にたてている。その行為のほとんどすべては、無意識のうちにおこなわれる。


『脳は世界をどう見ているか』(ジェフ・ホーキンス)

・・・ ところが妙なことに、細胞の近くにあるシナプスは全体の1割に満たない。9割以上が、活動電位を発生するには遠く離れすぎている。

遠位シナプスのひとつに入力が到達しても、細胞体にはほとんど影響しない。

長年にわたって、新皮質のシナプスの9割が何をするのか、誰にもわからなかったのだ。

 1990年ごろから、この見方が変わった。樹状突起に沿って伝わる新しいタイプの活動電位が発見されたのだ。

あるタイプの樹状突起で隣り合う20ほどのシナプス集団が同時に入力を受けるときに始まる。ひとたび樹状突起活動電位が生じると、樹状突起を伝わって、最終的に細胞体に到達する。そこに着くと細胞の電位を上げるが、ニューロンの活動電位を発生するほどではない。

 ニューロンが刺激されるこの状態はしばらく続いたあと、正常に戻る。科学者は再び当惑した。樹状突起の活動電位は、細胞体に活動電位を発生させられるほど強くないなら、何の役に立つのか?

遠位シナプスが脳の機能に不可欠の役割を果たすに違いない、と私には分かっていた。シナプスの9割を考えに入れない理論やニューラルネットワークはうまくいかないはずだ。

 私の重要なひらめきとは、樹状突起活動電位は予測である、ということだ。

活動パターンを検出すると、ニューロンは樹状突起活動電位を発生し、それが細胞体の電圧を上昇させ、細胞をいわゆる予測状態にする。

予測状態にあるニューロンが次に、活動電位を発生するのに十分な近位入力を受ければ、ニューロンが予測状態ではなかった場合よりも早く、細胞は活動電位を発生する。

いくつかのニューロンが予測状態にあるなら、そのニューロンだけが活動電位を発生し、ほかのニューロンは抑制される。結果的に、予想外の入力が到着すると、複数のニューロンが一度に発火する。入力が予測されていれば、予測状態のニューロンだけが活性化する。これは新皮質についての一般的な観察結果と一致する。予想外の入力のほうが、予測されていたものより、はるかに多くの活動を引き起こすのだ。

各ニューロンは、ニューロンが活性化すべきときを予測する何百ものパターンを認識できる。

われわれはこの理論をまず2011年に白書で発表した。その後、2016年に審査のある専門誌で「なぜニューロンに何千ものシナプスがあるのか、新皮質内のシーケンス記憶理論」と題した論文(*)として発表した。

* Why Neurons Have Thousands of Synapses, a Theory of Sequence Memory in Neocortex (2016)