ヤスエ方程式

~『路傍の軌跡』(保江邦夫)~

 スイスと西ドイツの国境を越えフライブルクを過ぎたあたりに, アウトバーンが平地にどこまでもまっすぐに延びた場所があった。これなら高速運転に不慣れな日本人でも大丈夫だろうと考えた僕は, おそるおそるアクセルを踏み込んでいった。

 スピードメーターが160キロを超えたあたりからランチャー特有のキーンという甲高いエンジン音が鳴り響くのに加え, ものすごい風切り音と激しい車体の振動音でテンションはどんどん上がっていく。このままでは空中分解するのではないかという不安を無視するかのように, さらにアクセルを踏む右足に力を込める・・・。

 そうして, ついにスピードメーターの針が190キロ近くを指すようになったとき, 突如あの不思議な静寂の瞬間が訪れた。もう30年以上も前の出来事だが, 今でもまるで昨日のことであるかのように鮮明に思い出すことができる, 不可思議きわまりない体験の瞬間。

 あれほど激しいエンジン音や風切り音が鳴り響いていた車内が, 一瞬のうちにそれこそ何の音もしない完全な静寂の世界へと変貌してしまったのだ。

・・・

 そして, 190キロで突如出現してきたこの完全な静寂の世界の中で, 自分の額の裏側としか表現できないところに, 何か数式のようなものがフッと浮かび上がってきた

 アレッ, これは何だ!

 初めてのことで戸惑っていた僕が不思議な印象の中でその数式をしばらく眺めていた次の瞬間, 車内は再び激しいエンジン音や風切り音に満たされ, 車体も僕の内臓もガタガタ揺さぶられるようになってしまった。

・・・

 明日の運転に備えてゆっくり眠るぞと思って, 大きなベッドに背中から倒れた瞬間, アレッ, 待てよ・・・。そういえばあのときに見えた数式は・・・。意外にはっきりと数式の詳細を思い出すことができた僕は, すぐに起き上がって宿の便せんにその数式を書き出してみた。

 明らかに何かの方程式なのだが, これまでどこでも見たことがない形であるにもかかわらず, 何か懐かしい感覚がある・・・。

 これが, 後にヤスエ方程式あるいは, オイラー・ヤスエ方程式と呼ばれることになる, まったく新しい基礎方程式を発見した時の不思議な出来事。