情報幾何

数学セミナー増刊『先端技術と数理科学の対話』(1990)

甘利  普から気にかかっていたことで、確率分布のファミリーのなす空間に何か幾何学的な構造があるらしいという計算を、大学院のころ、ちょっと演習問題でやったんです。その頃、竹内啓さんが張り切っておられまして、カルバック (Kullback) の“ Information and Statistics ” の本の輪講のときに、「輪講なんてまどろっこしいことはできない」といって、彼が1人でしゃべった。この本はいろいろおもしろい本だったんですが、このなかから出てきた問題で、私が書いたレポートでわかったことに「正規分布のなすファミリーは平均と分散がパラメーターだから2次元の空間をなしている。その空間に自然に導入される幾何学は負の定曲率空間である」というのがあって、非常に神秘的でおもしろそうに思えたんです。そのときは、何がおもしろいのか、よくわからなかったんだけれどね。

 私はだいたい統計は大嫌いだった。統計はつまらない。

竹内 同感ですよ。(笑)

甘利 だからずっとやってこなかった。しかし、やはり情報の問題と幾何学とかトポロジーとか, 何かそういう立場で、情報を代数学に切りきざんでしまうのではない立場でものごとをもう一度考えてみたいというのが昔 からの願望で、40歳になってるもう一仕事というときに考えついたのが若いときにちょっとやった問題だったわけです。

 いろいろな論文などもいくつかあって、きっかけがもちろんあったわけですけれども、それを手掛かりにもうちょっとやってみたいと思って、「情報幾何学」というのを提唱して、確率分布族の空間に自然に導入きれる微分幾何学は何であるのか、そのためには、今までの接続概念のなかで数学者があまり議論してこなかった新しい概念を入れると非常にうまい話ができるということをやり始めまし た。統計学の基礎的な話は、その立場からみるとわかることがずいぶん多いのではないか。

 ところが、統計は嫌いなものですから、よくわからない。竹内さんにきくといろいろ教えてくれるんだけれども、早口でよくわからない(笑)。いろいろ苦労したんですが、この考えは思ったよりうまくいったと思っています。わりあい自然に、しかも今まで数学者というか、統計の人も幾何の人もまったく見逃していた両方の境目にあるような事柄が体系的につかまえられるのではないか。それはも ちろん統計、確率分布にかぎらず、たとえば情報理論とかシステムの理論とか、 もっといってしまえばルジャンドル変換が成り立つような世界そのものの自然な幾何学構造がそういうものになっているんだということを提唱した。それをちょうど今で10年ぐらいやったんですね。

 それはもっと続けていきたいんですけれども、なにしろニューロコンピュータという世界がはやり出してしまいまして、そちらに時間をとられて、両方やらなければいけない、たいへんつらいんです。それと、もう50歳になってしまいましたから、これからはあまり人に迷惑をかけないように、なおかつ、まだまだ自分でやりたいことがいっぱいありますので、やってみたい。

 数理科学といってもいいんですけれども、数理工学は数学の応用というよりは、具体的な個々の現象に内在するおもしろさを、情報理論でる システム理論でも統計学でも何でもいいんですが、それを数学的に表現するものだという立場で私はやっています。