~『サライ(19xx年xx号)』~
1966年、『チキンラーメン』の開発者でもある現会長の安藤百福氏はアメリカヘ視察に赴いた。彼は、そこで、身近なところからいくつものアイデアを得ることになる。まず、なによりも大きな発見は、"西洋人は箸と丼では食事をしない"ということ。安藤氏は、丼と箸を前提とする商品ではフォークの文化圏に大きな市場を築くことはできない、と方針を変更したのである。
ならばどうすればいいのか。ここでも身近なところにヒントは転がっていた。現地のバイヤ-と商談をしていたとき、彼らは『チキンラーメン』を割って紙コッブに入れ、そこにお湯を注ぎ、フォークを使って試食を始めたのだ。まさに、今日のカップヌードル・・・・。

麺を容器に入れるためには密封の方法を考えなければならないのだが、またもや大きなヒントが現われる。安藤氏は、帰途の飛行機の中で、アルミ容器に入ったマカデミア・ナッツを見つけたのだ。紙にアルミをコーティングした蓋は、そこから生まれた。アメリカ視察旅行は、即席ラーメン文明開化への旅だったのである。
もちろん、ヒントだけでは商品は生まれない。麺作りひとつにも試行錯誤の連続である。麺を厚みがあってかつ湯の通りがいいように揚げるため、安藤氏は天麩羅の作り方を応用した。天麩羅は熱が通ったものから水分が抜けて浮かび上がる。ならば、1食分ずつ鉄型に入れ、上から蓋をして麺を揚げればいい。熟の通った麺は次々に鍋の上のほうに集まるが、蓋にぶつかって止まる。下からは新しい麺が次々に押し上げていく・・・・。その結果、"上が密で下が疎"という、湯戻しに最適な麺の固まりになるわけである。
また、容器のスチロールの臭いを消すために近くにあったブリキ缶の中でひと晩加熱してみたり、上方が広がった容器に麺を収めるために麺の上に容器をかぶせる方法を採用したり・・・・と、安藤氏をはじめとする開発陣は次々と常識に挑み、固定観念を破っていった。特に、麺を容器に宙吊りにする"中間保持"の方法は実用新案となったほど。これもまた、安藤氏の「なにも容器の底につけることはないじゃないか」というひらめきが生んだものだったのである。
1971年、ついに『カップヌードル』は発売された。容器が包装・調理器・食器の3役を兼ねる『カップヌードル』は、まったく新しい即席ラーメンとしてセンセーショナルな話題を呼んだ。